第2話
1991.10.07
1991年10月7日 ラリー2日
やはりマップの準備、その他色々、どうしてもやっとかねば、寝るわけにはいかない。
部屋に帰っても、あれもこれもと準備が、まだまだ山ほどあったのだ。わずか約2時間弱の睡眠をとり、4時30分に起床
朝6時、再びピラミッド傍らのスタートラインへと並ぶ。

やはり2人ずつ1分おきのスタートで、2日目ともなると皆、いきなりかっ飛ばして行く。
走り出して暫くすると、いたる所でまだまだ、これからだと言うのに、もう転んでいたり、故障で止まっている選手がいる。
真っ赤な炎と、黒煙を上げボウボウと炎上しているMOTOのそばで、茫然と立ちすくむライダーがいたのには驚いた。

ラリーでのマナーとして、知識として知っていた事を実践する。
止まっている選手がいれば、必ず大丈夫かどうか近づいて声をかけるのだ。
これは自分自身がそうなった時、誰かに助けてもらいたいという気持ちが、どこかに潜んでいる事に気着く。

大抵の選手は〝大丈夫だから行けヨ〝とふてくされた様に合図してくる。
なにしろストップしてしまえば、ここに来るまでの、筆舌を絶する苦労は、水泡に帰してしまうからだ。
それでなくても、大枚を投じ、命を賭してまで、砂漠が走りたくてやって来た、狂った連中ばかり。
オーライの言葉さえ声にならないほど、がっくりと肩を落としている。 走れなくなる事ほどくやしい、情け無い事はないだろう。
明日は我が身かもしれない。

リタイヤした彼らを、午後になれば主催者のカミオンバレー(掃除トラック)が、たぶん救助してくれる。
このラリーの特別ルールで、2回まではカミオンバレーに、救助されるのを許される。
しかしうっかり、コースを外れて故障していれば、誰も通るものはいない。
そんな時の為に、緊急用の発信機(バリューズ)を持たされてはいるが、スウィッチを入れた時点で失格、リタイヤとなる。

去年だったか、アフリカで行われる別のラリーで、2輪の選手が二人、ミスコースによりドライアップ。
干からびて死んだそうだ。 彼らはバリューズを携えていたんだろうか? やはりスタッフが発見してくれなければ、命は無くなる可能性が高い。

なぜ私達は命を落とすほどに、危険すれすれのスポーツを、楽しむのだろうか?
自分の胸に手を当てて考えても、答えは出てこない。 だがDNAのどこかに書き込んであるのだろう。
走れ!と。

しばらくすると忽然とでっかいオアシスが見えてきた。砂漠の真ん中だと言うのに琵琶湖ほどもある。
双子のオアシスで、南のオアシスで水が湧き、北のオアシスへと流れ込む。
そこで再び乾ききった大地へと、この水が消えてゆく。
こんな砂漠の真ん中で、オアシスが存在することすら不思議だというのに。
年間にしても、ほとんど雨の降らないこの砂漠で、しかもこの巨大さ!何処からか湧き、何処かへと消えて行く謎。
砂漠を又、この大自然の創造者を、感銘せずにはいられない。

川となり、南北につながった部分をコースは縦断している。
マップには仏語で、滝と書いてあったが、どうも川の様だ。

このあたりは、スタッフや躊躇している選手、カメラを構える人もいたりで、にぎやかだ。
50mぐらいの幅の川だ。 なるべく浅い所を選んで走っても、深さが30㎝はありそうだ。 深いところは1m以上かもしれない。

今走る選手はうまく走っているが、深い所がへうっかりはまったらどうしよう。
川底は砂か岩盤のようだが、水の流れで揺らいでいて、岸からじゃまるで見えない。

ままよ、行け!
断差があったり、コケでヌメっていたり、バレーボールぐらいの玉石があったりと、気が抜けない。
途中で水没している車や、MOTOもいる。

川の流れで、横に進路が流されつつ進む。
水深が少し浅くなり、嬉しくてスピードを上げたら、頭の上から水が降ってくる。
水浴びのようですごく気持ちいい。

ラリーが終わり、日本へ帰って二、三ヶ月ぐらい後、フランスのカメラマンから、気に入った写真があれば買って欲しい。 とサンプルを送って来た。
その小さな写真を見てのけぞった。 なんと私が落差20mの滝の上を走っている!
入り口付近でも、パピルスが繁り全く気着かなかった。水中に気を奪われ、真剣にわき目も振らず走っていたせいだ。
何の疑いも無く、ただの川だと思っていた場所は、実は滝の断崖のガケッ淵だったのだ。
もし流され落ちていたと思うと、心底ぞっとさせられた。

知らぬが仏。 私は浅瀬をねらって、断崖に近い右ラインを走っている。
左の深みの水没車を横目に見ながら(かわいそうに)と、本当のガケッ淵を通ったわけだ。
この川(滝)を渡りきった所で、モトが2台、車が1台、懸命にマシンを分解中だ。
人事ではない、私のマシンも水を吸ってしまった様だ。
一部深い所もあったし、さっきの水浴びが原因かもしれない。

水から上がると、エンジンがボコボコ言っている。 全開でもスピードは20㎞/hほどしか、出なくなってしまっている。 分解し水を出すには恐らく1~2時間は必要だ。 ここでエンジンをストールさせたら、分解しないと2度とかからないだろう。
ボコボコ言いながらでも止まらず、自然治癒を持ちながら走ることにした。
あまりに水が多量だと、このまま回し続ければ、壊れる可能性もある。

本当に馬鹿な事をしてしまった。 原因を冷静に考えるとやはり水浴びが原因だ。
嬉しくて頭から水が掛かるほど、スピードを上げたりしなければ、こんなトラブルは起こらなかっただろうに。
それにしても砂漠のラリーで、川渡りをやらせるとは、とんでもない主催者だ! と他人のせいにしてみてもやはり後の祭り。

水を吸ったエアーエレメントが乾くに従い、 25㎞、30㎞、35㎞と序々に回復してゆく、1時間程でやっと元の様に、調子良く回りだしてくれた。
そうしてようやく80~120kmの全力走行に戻った。
冷や汗もののセーフだ。

前を行く轍(わだち)を追いかけ、走り続けていると、沼地っぽい所へ入ってしまった。
そこには2台の車がスタックしている。 他にも3台の車がいる。 チーム員同士でもなさそうなのに、ロープをかけ引っぱってやっている様だ。
こうやってライバル同志でさえ、助け合いながら走るのがラリーの仕来りだと、聞いた事がある。
完走目的の、順位が中盤以下の選手ならいざしらず、しのぎを削る上位の選手達でさえ、こういう麗しい話を耳にするものだ。

ラリーカーのナビゲーター(助手)の一人が、私に止まるな!止まらず向きを変えろ!止まると埋まるぞ!
こっちは沼だ!あっちの丘へ迂回しろ! と英語でも仏語でも伊語でも、独語でもない言葉で教えてくれた。
世界中から選手が集まっていて、言葉は10を越えるのだろうが、ラリー中には言葉の壁は存在しない。
その状況になれば、その動作と目つきで、言葉以上に彼の意志が理解出来るものだ。

コースはいよいよ、砂時計に使えるぐらいサラサラの砂、デューン(砂丘)へと入ってきた。
いよいよ夢にまで見たデューンだ。

うわ~。
すっげぇ~。
奇麗~。
うっ、う美しい!
一面に黄金色のウェーヴが広がっている!

見渡す限り柔らかな曲線と、幾重にも幾重にも連なる、しなやかな曲線とに包まれる。
このあまりにも美しい光景に、思わず全身鳥肌が立ってしまった。
ついに来た・・・・。 涙腺も緩んでくる。
緩やかに登るデューンが続く。

これまで目にいれた事など無い、多量の白褐色の眩しい光が、視神経を焼いてくる。
こんな事ってあるのだろうか?・・・・。
目の前は、真っ白な紙で目隠しした様に、ホワイト・アウトしている。
目を開けてると言うのに、まるっきり目を閉じているのと同じだ。
失明したのか?・・・・眩しさで目が焼けたのか?・・・と、まだ目が見えないままで、心配になる。
バランスを取り続け、走らなければ転んでしまう二輪で、目隠しして走る難しさ!
そのままフラフラしながらも、純粋な平衡感覚だけを頼りに走り続ける。
勾配が緩やかになる頂上あたりで映像が戻って来た。
胸を締め付けるほどにセクシーなデューンが再び見える。
今までさんざん写真で見て、心底憧れていたデューンのウエーブだ。
曲線美ばかりではなく、目に入り切らない光り輝く眩しさは、想像の美を遥かに越えている。
写真で、恋焦がれた、どんなデューンより美しい!

素晴らしい!
滑るように滑らかだ!
曲線の織り成す芸術だ!
輝いている!

下りにかかると今度は、微細な砂粒全てが、宝石の様にキラキラ輝き、いやギラギラ輝き!
妖しく神秘的なウエーブが、真近に現れてくる。
何度でも、登りにかかると必ず、目の前は真っ白になる。
下りにかかれば必ず、ギラギラの黄金色へと入れ替わる。
黄金色と純白模様が、上り下りするたびに、変化する。
まるで 万華鏡の様だ!

この摩訶不思議な万華鏡は当分の間、別世界を楽しませてくれた。

「すんげぇー、ここはきっと極楽だ!」
けばいほどキンキラの輝き、流れる砂は、あたかも仏壇の金屏風。
これはきっとこの光景を、実際に見た人の話が、遠く東洋にまで伝わって、それを極楽浄土として、屏風に描いたに違いない。
私の勝手な想像は、ここを極楽浄土のモデルとなった所、だと決め付けた。

しばらくして突然エンジンが止まり始めた・・・・・・。ガス欠だ!
間違いなくガス欠だ。 と思いながらも最悪の故障、「焼き付き」の不安も頭をよぎってくる。
すぐ予備コックを捻(ひね)るが、砂で抵抗がひどく、その時80㎞/hぐらいで走ってたというのに、アッという間に停止してしまった。
キックを十数回しても、かかる気配がまるで無い。 エンジンのコンプレッションはある。
背中の重い荷物を降ろし、再度数回キックをするが、やはりかかりそうも無い。
おそらく朝方の川越えで、吸った水がキャブに残っているからだろう。
エンジンブロークン? 最悪の事態の可能性は50%以上はある。

焼き付きか?
ただの水の悪戯か?
水が入ったというのに、無理矢理そのまま走った後遺症か?
ウオーターハンマーでのクラックか?
色々なことが頭をよぎる。
ともかくまずは、キャブを分解するか・・・・・・

その時、砂漠の真ん中だというのに、エジプト人がトコトコ歩いて、こっちに近ついて来ている。
陽炎ゆらめき、チリチリに砂は焼けているというのに、素足でしかもターバンも被っていない。
どんどん近づいてくる。

よく見るとエジプシャンが、やって来た方向の随分遠くには、木の枝で作ったテントがあり、あそこからやって来たんだ。
陽に焼けた赤銅色の顔に、白い目がギョロッとして不気味だ。
まさか襲いに来た訳じゃないよなァ。
近づいて来て、笑顔に白い歯が見えた。

そばに来るなり、いきなり私のモトを奪うと、素足でキックし始めた。
私がフラフラになりながら、キックしてるのを見て、親切にも見かねて駆けつけてくれた様だ。
しかしまあ素足で、このギザギザのステップによく立つなァ。
もしキックしそこねて、足を打つと危ない!
彼が踏んでも、やはりエンジンもかかりそうに無いし、本当にありがたいが止めてもらう。
身振りでキャブレターを掃除するョ。 と伝えたら、すすんでモトを支えてくれた。 サラサラの砂の上では、サイドスタンドもさっぱり役に立たず、すごく助かる。

バッグから工具を出す際に、ホテルでのビールの付け出しだった、ピーナッツをみつける。
これ食べ物だよ! 口へ持って行くジェスチャーしながら上げたら、彼は勿論知ってるよとうなずいた。
美味しそうにむしゃむしゃ食べている。

そのうちにまたもう一人やって来た。
最初に来てたほうの男は、入れ替わりテントに帰っていった。
キャブをバラし、作業しながら、言葉なんか一言も分からないから、日本語(広島弁)で話しかけてみる。

「名前は? 歳は? あんたらどっから来たん? 今からどこ行くんネ?」 何喋っているんだろう、と不思議そうな顔をして、何言ってるのかわからんぞ!と言う風な返事をしてきた。
お互いに何も解らない。
続けて「仕事は何しょうるん? こんなとこで、どうやって飯を食っていきょうるんネ?」返事をぜんぜん期待せず聞いて見た。

ふと朝方、オアシスのそばで、何頭かの牛が草を食べているのを思い出した。
手で角の真似をし、オアシスの方向を指さすと、男は大喜びだ!
「そう!ワシらは牛飼いで、街へ売りに行った帰りなんジャ!」と言ったはず。
彼は滅茶苦茶喜んで、握手してきた。
おおっ通じたぞ!

やはりキャブレターのフロート室に水が入っている。

掃除が終わった頃、最初の人がもどって来た。
手には欠けたり割れがある、素焼きの瓶を持っている。
それにまた、輪をかけたほど、ボロボロのカップに、その瓶に入っている液体を注ぎ、私に差し出してきた。
覗いてみるとドロ水にゴミが浮いている。 とてもじゃないが飲み物とは思えない。

彼は「飲め、飲め、美味しいぞ」と言って奨めてくる。 こりゃまいったなァ。
そうかと言って、本当に断るのも気の毒だし・・・・・「ありがとう!」
観念し、勇気を振り絞って一口飲んでみた。
なんとそれは・・・・